2010年1月25日月曜日

コラムの月曜日:風景が同じに見えることの恐ろしさ貧しさについて

先日、建築相談会のお仕事で泉北ニュータウンを訪れました。
千里ニュータウンには団地見学でたびたび訪れますし、
先週は高蔵寺ニュータウンに津端修一さんを訪ねてきました。

それで思うのは同じニュータウンといえども
並べてみると雰囲気が違うこと。

どれも旧公団の仕事なわけですが
当時の担当者が誰だったかから地域性など
ただ大量に機械的に住宅を並べただけでは割り切れない
人間くささがそこはかとなく私には感じられます。

例えば泉北ニュータウンを車で走っているとわかるのですが
高蔵寺に比べて住宅と幹線道路の距離が近い。
高蔵寺はもとの地形を利用して谷底に車道を尾根に住宅を
置いていますから自然とお互いの距離は離れ、
その間には緑地が挟みこまれています。これは
計画を担当した津端さんの配慮です。

「外人の顔はみんな同じに見える」と言われますが、
外人の友達ができるようになると違うに見えてきます。
それは外人の顔を親しみを持って
見つめるようになるからにほかなりません。
団地だって高速道路の橋脚だってひとつひとつ違います。

「○○が同じように見える」とは
実は○○をきちんと見ようとしていないことの
裏返しなのかもしれません。

世の中には
「日本の景観はどこに行っても同じになってしまった」と嘆く人がいます。
日本のまちは本当に同じになってしまったのでしょうか。
それとも彼がまちを親しみを持ってみなくなってしまったからなのでしょうか。
前者も悲しいことですが後者はもっと憂うべきことです。
町を見つめない人にその町の景観云々を語ってほしくない。
そう思います。

※このブログ記事を見て、津端さんのご住所を教えてほしいという問い合わせがまいりますが、
当方としては個人情報のためお教えすることできません。ご了解ください。


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